自分ロマサガシリーズ(SFCの1~3)はクソゲーだと思ってるんですよ。
全てクリアに失敗しているというのもあるけど、そもそも知識があること前提の箇所が多すぎる。
一番ひどいのがロマサガ2の術法研究所の設立方法。
『皇帝の術ポイントが25の状態で玉座に座れば術法研究所建設の打診が来るようになります。』とのことだが
誰が玉座になんか座るかよ!各地を転々としてるのに誰が玉座になんか座るかよ!わかるわけねーだろがアホかっ!
・・・てなもんですよ。
でも知ってのとおりロマサガ2はファンも沢山いて、スクウェアの代表作的な扱いをされることも少なくない。
それはつまり「プレイヤーに知識があるから」ですよね。
遊ぶ側が遊び方をちゃんと知っていれば、ある種理不尽とも言えるシステムにも対応して楽しむことが出来る。
また「ザナドゥ」もロマサガと同じようなものじゃないですかね。
ザナドゥを始めたとき、最初にやることは敵から攻撃を受けて鎧の熟練度を上げることらしい。
だれがRPG始めた直後に自分から敵に殴られに行きますか?どんだけドMですか。FF2じゃないんだからさぁ。
しかしまたザナドゥも大ヒットを記録し、今なおファンだという人も多い(と思う)。今度新作も出るらしいしな。
これら2つのソフトから言える事は、ソフトの楽しさはプレイヤーの知識・能力に左右されるということだ。
普通に遊べばクソゲーになりかねないソフトでも、相応の知識を持って遊べばとても楽しめる代物になると。
これはつまり「プレイヤー自身の能力次第で、凡作のゲームソフトを名作まで押し上げる事も可能」なことを示していると言えないだろうか。
それを実践してみせたのが「里見の謎」だろう。
里見の謎は普通に遊べば救いようのないレベルの駄作であるところを、当時のヨダレ団長(白川嘘一郎氏)の文章があまりにも面白すぎたがためにソフトにプレミアまでついたという特異な例である。
と俺はずっと信じていたんだが、神聖バカゲー騎士団のサイトを見ても里見の謎の記事はあまり見当たらない。
あれぇー?おかしいな。「美食倶楽部バカゲー専科」の本でも書いてるのは「宿無彦」という人だし。俺の記憶違いだったか?(なお宿無彦氏はインターネット黎明期では有名なクソゲーレビュアーだったらしい)
まあいいや。とりあえず俺が言いたいのは、かようなクソゲーでも遊ぶ人間が面白ければ、楽しめる作品たりえるということだ。
これらの例から見て、ゲームというのはソフト単体で出来が決まるものではなく、ソフトを遊ぶプレイヤー自身もゲームの面白さを決める要素であると言える(かもしれないね)。
もし遊んだゲームがつまらないと感じた場合、ゲームソフトを叩き割る前に自分のゲームへの取り組み方を疑う必要があるのかもしれない(知らんけど)。
あらゆるゲームを許容し、理解する努力を怠らないプレイヤーこそ、真のゲーム好きと言えるのだから(俺は遊びたいソフトだけ遊ぶけどね)。
説教くさい。
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